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愛馬にまたがり、召使とともに密かに屋敷を抜け出した釈迦は、
マガダ国で2人の高名な仙人から禅の修行を受ける。
だが、わずか数か月ですべてを学び取ってしまった
「ここには悟りがない」と知った釈迦は、
山にこもって断食などの苦行を6年にわたって続けた。
だが、それでも悟りを開くことはできなかった。
苦行しても悟りが開けないのを知った釈迦は、
それまで行動をともにしていた5人の修行者たちとも別れて
山を下り、ネーランジャラー川で沐浴をした。
すでに体力は限界で、力は尽きようとしていた。
そのとき、乳粥を持ったスジャータという名の少女が
そこを通りかかったのである。
彼女は釈迦の前にひざまずき、その乳粥を差し出した。
釈迦はその乳粥を食べながらスジャータの「琴の弦は締めすぎると
切れてしまうが、締め方が弱いと音が悪い。
琴の弦は適度に締めるのがいい」という歌を聴き、
やはり自分の苦行が間違っていたことを知った。
乳粥で体力を回復した釈迦は、ガヤーというところにある
ヒッパラ樹の根本で瞑想に入った。
このとき、天の悪魔が釈迦の悟りを妨害しようと大軍を送ったが、
釈迦はことごとく打ち破り、悟りを得て、ついに仏陀(ブッダ=真理に目覚めた人)となった。
このとき、釈迦の年齢は35歳(30歳という説もある)だった。
その後、釈迦は先に別れた5人の修行僧たちに再会して教えを説いた。
最初は裏切り者として耳を貸さなかった5人だが、やがて彼らは
釈迦の教えに感動し、そのまま弟子になったといわれる。
ちなみに釈迦が悟りを開いたガヤーという土地は、
釈迦が仏陀になったことからブッダガヤーと呼ばれ、
ヒッパラ樹は菩提樹(悟りの樹)と名前をかえた。
ただし、釈迦が悟りを開いたとされる菩提樹は、私たちが近年目にする、
菩提樹(リンデンバウム)とは別の種類で、クワ科のインド菩提樹のことである。
2012/01/30 EDIT CATEGORY:未選択 COMMENT:0 ▲ TRACKBACK URL
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