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2025/04/24 EDIT CATEGORY: TRACKBACK URL 

釈迦はなぜ出家したのか

釈迦は16歳のときにヤショーダラーという娘と結婚し男の子を授かっていた

家は富み、美しい妻がおり、そして子供にも恵まれた。

そんな幸福を絵に描いたような暮らしなのに、なぜ、
その生活を捨て、苦しい修行の道へ入っていったのか。

釈迦が出家した正確な年齢はわかっていない。

入滅の際、弟子のひとりに「私は29歳のときに、善を求めて出家した」
と言い残したと伝えられているから、おそらくそのころといわれている。

ある日、遊びに行こうとして屋敷の東門から出た釈迦は
やせ細ったシワだらけの老人を目にした。
「人間は誰でも歳をとり、そして必ずそのような醜い姿の老人になるのだ」
と知った釈迦は、遊びに行く気が失せてしまった。

次の日は南門から出てみた
すると、自分の汚物の中で転げ回りながら苦しんでいる病人の姿を見てしまった。
「人間は誰でも病気になり苦しむものだ」と知り釈迦はまた家へ戻った。

その次の日は西門から出てみた
すると、肉親の亡骸にすがりつき号泣している人たちを目にした。
「誰でもいずれは死を迎え、親しい者と別れなければならない」
と、ショックを受け、釈迦は3度踵を返した。

最後の日、釈迦は祈るような気持ちで北門から外出してみた。
すると、黄色い袈裟を着た修行僧に出会った。
その崇高な姿をみた釈迦は、
「人間は逃れることのできない“生老病死”という四苦を乗り越えるためには出家するしかない」
という考えに至ったという。

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2012/01/23 EDIT CATEGORY:未選択 COMMENT:0 TRACKBACK URL 

釈迦が行った12歳の奇跡とは

釈迦の母マーヤは、産みの苦しみをまったく感じなかった。

ところが、その7日後に突然亡くなっていしまう。

それは、マーヤが神々の仲間入りをするためには欠かせなかった過程なのだった。
しかし、それは幼い釈迦にとっては悲しい出来事だった。

母を失った釈迦は、継母のマハープラジャーパティに育てられることになった。

父・浄飯王は、高名な仙人から、
「あなたの息子は偉大な王になるか偉大な宗教者になるだろう」
という予言を聞いていたため釈迦に不自由のない暮らしをさせていた。

釈迦が12歳になったときのこと。
その日、釈迦は五穀豊穣を祈る祭りに参列していた
そこで彼が見たものは、小鳥が虫を食い、その小鳥がタカに食われるという
弱肉強食の世界だった。

生きていくためにはしかたがないとはいえ、かわいい小鳥が食われるのを
目の当たりにした釈迦はショックを受け、木の下で座禅を組むことにした。

そのとき、(生まれたときに起きた奇跡に次いで)第2の奇跡が起きた。
釈迦が座禅を組んでいる長いあいだ、その木の影がぴくりとも動かなかった。
それを見た人々は多いに驚き、「なんという奇跡だろう」と
口ぐちにつぶやいたという。

2012/01/16 EDIT CATEGORY:未選択 COMMENT:0 TRACKBACK URL 

釈迦の本名

仏教の開祖は釈迦である。

しかし釈迦というのは、ネパールの古くからの部族の
名前
に過ぎず、彼の本名ではない。

釈迦の本名は、ゴーダマ・シッダールタという。

ではなぜ釈迦と呼ばれるようになったかというと、
ネパール地方では昔から聖者のことを出身部族の名前で
呼ぶならわしがあったからである。

これは、聖者は部族を代表するという考えがあったためだ。

といっても、釈迦という呼び方はまだ正式ではない。
正式には、釈迦牟尼という。

牟尼とは聖者という意味だから、つまりは「釈迦部族出身の聖者」
ということになる。

このほかにも、
「釈迦牟尼世尊(世尊とは、福徳のある者・聖なるものという意味)」
「釈迦牟尼如来(如来とは悟りを開いた人という意味)」
「釈迦牟尼仏」
「釈迦仏」
などさまざまな呼び方がある。

また、仏陀(ブッダ)と呼ばれることもある。

仏陀とは、サンスクリット語の「buddha」に漢字を当てたもので、
「目覚めた人・悟りに達した人」という意味を持ち
特に釈迦のことを指している。

釈迦は、ヒマラヤ南麓のカピラ王国の国王、浄飯王の息子として生まれた。

母は后マーヤ(摩耶)である。

マーヤが釈迦を身ごもったとき、蓮の花を持った小さい白い象が
右のわき腹から胎内に入り込む夢をみたとい伝えられる。

マリアが処女でイエスを身ごもったとき、天使ガブリエルが訪れて
それを知らせたという伝承となんとなく似ているが
出産の様子はまったく異なっている。

出産のため故郷に戻ろうとしたマーヤは、その途中で産気づいたため
無憂華の花の下に座りこんだ。

すると、夢で白い象が現れ、その象が入り込んだ右のわき腹から
釈迦が生まれたというのだ。

しかも、生まれたばかりの釈迦は7歩歩くと、右手で天、左手で地をさし
「天上天下唯我独尊(この世で私が最もすぐれている)」といったという。

この日は4月8日とされ、今も日本や中国ではそれを祝って
花祭り(灌仏会)が催される。

花祭りでは、誕生仏(生まれてまもない釈迦の像)にひしゃくで
甘茶をかけるが、これは、釈迦が生まれたときに、「天から甘い雨が
降り注ぎ、釈迦の身体を洗い清めた」という故事に由来するものである。

2012/01/09 EDIT CATEGORY:未選択 COMMENT:0 TRACKBACK URL 

密教とはなにか

密教と聞くと、なんとなく怪しいもの、
超能力めいたものを想像する人が多いようだが、
実際には全く違う。

密教とは「秘密仏教」の略である。

秘密なのはその教義のことであり、一般の人間には
知ることができない教えが伝わっている。

密教は、大乗仏教の発展とともに現れた仏教の一派である。

大乗仏教は人々をあまねく救うための仏教であるため、
仏教の世界観を一般の人にもわかりやすく説き、
来る者は拒まずの態度をとっている。

密教では、修行者たちを教団の中に隔離し、
秘密の教義と儀礼は相伝され、一般の者にはいっさい知らせれない。
ただし、その目的はあくまでも人々の救済で、
その点では大乗仏教の流れを確実に守っている。

密教の中心になっているのは大日如来である。

大日如来は、宇宙の真実の姿を仏の姿におきかえたもので、
心に曼荼羅を描く「三密」という修行をして
仏の教えを知ろうとするのである。

密教を修行する者の最終目標は、即身成仏といわれている。

これは、人間が肉体を消滅せず、このままの状態で
究極の悟りを開いて仏になること
だ。

真言宗の開祖である空海は実際にそれを達成して
高野山の奥の院に祭られている

そして、いまも毎日、朝食が届けられている。
空海のように、即身成仏を果たした行者を即身仏と呼んでいる。


2012/01/02 EDIT CATEGORY:未選択 COMMENT:0 TRACKBACK URL 

「般若心経」にはなにが書いてあるのか

「般若心経」の全文をそのまま見ても、
「なにがなんだかわからない・・・」という人がほとんどだろう。
そこで、現代語訳をここに紹介しておこう。

「観音様が修行をしていると、
この世にあるすべてのものは、やがて消えてしまうことを悟った。
すると、迷いや悩み、苦しみなどすべての苦悩からも解放された。
舎利子(お釈迦様の弟子の名前)よ、すべての物質は実体がない。
実体がないからこそ物体なのである。
私たちの感覚や想念、意思などといったものも同じなのだ。
舎利子よ、もう一度いっておく。
この世のすべてのものには実体がない。
これがわかれば、生命というのは生まれもしなければ死にもしない。
汚いとか綺麗ということもない。
そして、増えもしなければ減りもしないと理解できるはずだ。
感覚がないから、色は見えず、音は聞こえず、匂いは感じず、
味もわからず、感触や感情もないことになる。
それが心を解放し、真の自由をもたらすのである。
なにもないから煩悩もありえない。
年をとって死ぬこともない。
苦しみをかんじたり、苦しみから逃れようとする必要もないのだ。
また、知恵もないから悟りを開くということもない。
すべての間違った考え方や妄想から離れなくてはいけないのだ。
そうすることで、はじめて悟りの世界に近づける。
この般若心経の教えこそ、ほかに例のない最高の呪文だ。
これさえ知っていれば、すべての苦悩を取り除けるのである。
さあ、般若心経を唱えることだ。
行こう、行こう、みんなで幸せが待っている彼岸へ行こう。
そして、彼岸へ渡った者に幸あれ!」

2011/12/26 EDIT CATEGORY:未選択 COMMENT:0 TRACKBACK URL 

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